神戸新聞 2012年11月11日 ひと探訪 焼き鳥店オーナー 山崎 哲さん

ヒーロー揚げを名物に
経験を無駄にはしない

 生きている意味は、人生とは―。ご当地グルメ「甲子園ヒーロー揚げ」を、手作り衣装の「チキン大佐」に扮してPRしている時も自問している。
 高知県出身。高校卒業後、自衛隊に入ったが「一旗揚げたい」と4年後に除隊。サラリーマンをしながら、フランス料理店で皿洗いのアルバイト。その後、日本料理店で修業を積んだ。
 25歳の時に共同経営で阪神西宮駅近くに焼き鳥店を開いた。ところが1ヵ月後に阪神・淡路大震災。自宅が全壊しながらも、店にあった材料で被災者に焼き鳥を振る舞った。妻子を大阪に避難させ、店で寝泊まりし、各地で支援活動を続けた。
 翌年夏に独立し、新しい店を開く。復興事業で西宮にも全国から人が集まり店は繁盛し、仕事に没頭。家族のために一生懸命やってきたつもりが「溝ができてしまった」。離婚した。
 復興が進み、住民は戻らなかった。「繁盛したのはおいしいからだと勘違いしていた」。改装したり2軒目目を出したりして、借金が膨らんだ。
 2000年、甲子園球場近くに移転。再婚した妻と懸命に働いた。借金返済のめどがついたころ、妻ががんに。「やっと苦労に報いることができるはずだった」。07年、大切な人が38歳で逝った。
 「何かを残そう」。バルの企画などいろんなことに取り組んだ。そんな中でヒーロー揚げを地域の名物にしようと思い付いた。経営する4店では将来独立を目指す人を雇い、ノウハウも教える。「失敗も含めて経験を無駄にしない」という亡き妻の教えを一つずつ形にしてきた。それでも「まだまだスタート」。頑張る姿を、天国で見守る人がいるから。
 西宮市在住。44歳。

記事・金山成美
写真・笠原次郎

<横顔>
 「日本を5周くらいした」ほどツーリング好き。飲食業ならいつでも行けると思ったが「逆に休めないですね」と苦笑い。亡き妻の推薦で、幼稚園の先生をしていた現在の妻と再々婚し、新たに子どもが2人誕生。チキン大佐の衣装は、今の妻の手作りだ。