産経新聞 2014年2月5日 ひょうご この人あり 焼き鳥店「じゅげむ」オーナー 山﨑哲さん(45) ㊥

 焼き鳥店で修業に打ち込み、調理や経営のノウハウを学んだ山﨑哲(45)は、平成6年12月、弟や仲間と共同で経営する焼き鳥店を西宮市に開いた。ところが、オープンからほどなく、阪神大震災が発生。自宅は全壊し、ライフラインも寸断。店は倒壊こそ免れたが被害を受けた。山﨑は一刻も早く営業を再開すべきと主張したが、仲間は慎重な姿勢を崩さず、両者の間にはあつれきが生じた。
 展望を描けないまま、山﨑はテントと1週間の食料を持って被災直後の神戸市に入った。炊き出しが行われていなかった避難所にたどり着くと、各地から駆け付けたボランティアとともに区役所などを回って、みそやしょうゆ、食材を調達。「温かいものを食べてもらいたい」と被災者に豚汁などを振る舞った。余った物資や食料を無駄なく使い切るため、避難所間で融通する仕組みも作り、半年ほどボランティアを続けた。
 その後、店に戻ったものの、仲間との関係がぎくしゃくしたため、それぞれ借金を分け合い独立。7年夏、父親がよく飲んでいた高知産の日本酒から名付けた焼き鳥店「ももたろう」を阪神西宮駅近くに開いた。
 カウンター15席の店は、復興関連の工事に訪れた男性客らで数年間は繁盛したが、復興需要が一段落すると潮が引くように客足が遠のき、売上も急落。そうとは気付かず、メニューを増やして在庫を抱え、テーブル席に階層しては借金を増やし、資金繰りに苦しむように。アルバイトの時給を下げ、リストラにも踏み切った。「焦りもあって、すべてが裏目に出た」。今でこそ冷静に分析できるが、苦い経験となった。
 再起を図ろうと焼き鳥店「じゅげむ」を西宮市で開業。その後、山﨑の人生を左右する運命の出会いが待ち受けていた。
 「ヒーロー 450円」
 ある日、ふらりと入った甲子園球場近くの居酒屋で、興味をそそられるメニューを見つけた。注文すると、テーブルに運ばれてきたのは手羽中を2つに割った空揚げと、ニンニクしょうゆの入った小皿。「タレにつけて食べてください」。さくっと香ばしい空揚げと、食欲を刺激するニンニクしょうゆの絶妙な組み合わせに「うまい」と衝撃を受けた。しばらく後に、鉄板焼き店でも「チキンヒーロー」という名前のよく似たメニューがあることを知った。
 当時は、「ご当地グルメ」という言葉が浸透し始めたころ。甲子園球場周辺の名物料理を作りたいと考えていた山﨑には「甲子園」と「ヒーロー」は最強の組み合わせに思えた。そこで自らの店のメニューに取り入れ、「甲子園ヒーロー揚げ」という名前で売り出した。
 なぜヒーローなのか。いずれの店に尋ねても、語源の由来は分からなかった。鶏肉を指す中国語という説や、「HERO」という題名の歌と関連があるのではという説もあるが、定かではない。山﨑は「謎めいているほうが、ヒーローっぽくていいでしょ」と表情を緩める。
 販売を始めた当初は「なんでタレにつけるん」「手が汚れて食べにくい」と客には不評だった。そこで、片手で食べやすいように片方の骨をむき出しにするなど下ごしらえを工夫し、味の改良を重ねた。地道な努力の甲斐あって、甲子園ヒーロー揚げは「じゅげむ」の看板メニューに成長したのだった。 (文中敬称略)

「甲子園ヒーロー揚げ」を掲げる山﨑哲さん=西宮市甲子園七番町