日本産経新聞 2014年3月26日 次代の創造手 焼鳥店「じゅげむ」オーナー 山崎 哲さん(45)

「チキン大佐」、飲食店開業を指南

「甲子園は夢がかなう場所」 熱血指導でヒーロー育成

 兵庫県西宮市に3店を展開する焼鳥店「じゅげむ」のオーナーである山崎哲は開業を望む若者の五k末井に情熱を燃やす。資金調達、店舗の賃借契約、仕入れ業者の確保などいくつもの難題を課し、3年の熱血指導で一人前の経営者に育て上げる。元自衛官という異色の経歴を持つ「チキン大佐」。その夢は地元の甲子園からカンボジアへと広がる。

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 山崎は自分の店を持ちたいと願う若者を正社員に雇う。最初に与える課題は不動産仲介業者の訪問。「どこで店を開きたいか」「どんな設備が必要か」。予算と客単価の見通しを含め、若者は質問攻めにあう。
 次の課題が金融機関。「開業に必要な資金はいくらで自己資金はいくら用意できるか」「事業計画はどうか」。ひとつでも質問に答えられなければ開業などできない。ハードルの高さに挫折しても不思議ではないが、山崎はそれこそ「夢が目標に変わる瞬間」と言う。
 修行中、若者は給料から毎月8万5千円を定期預金で積み立てる。毎日つける帳簿には来店者数、客単価などを詳細に記録。3年たてば300万円の開業資金がたまり、信頼性のある事業計画ができあがる。
 「この50万円で店に必要な設備を全部そろえなさい」。3年の修行を終え、開業を間近に控えた段階で最後の難題を与えられる。「皿は何枚必要か」「箸は」「メニュー表は」「単価は」。意気軒高な若者は商売の難しさを再認識する。
 これまでに7人の卒業生を送り出した。魚介系居酒屋や八百屋を開いた人もいる。今も5人が修行中だ。
 山崎は元自衛官。高知県の高校を出て陸上自衛隊に入隊したが、自分の店を持ちたいとの思いが募り4年で退官する。昼に化学品メーカーで働く傍ら、夜は飲食店でひそかに修行した。

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 1994年12月、3人の仲間と焼鳥店を開いたが、その翌月に阪神大震災に襲われる。自宅は全壊し、店の営業も再開できず、仲間とはケンカ別れ。2300万円の借金だけが残った。
 その後、半年間のボランティア活動を経て15席の店を開いた。復興特需で大繁盛したのもつかの間。3年後にはぱったりと客足が途絶えて閉店に追い込まれた。三度目の正直で甲子園前に「じゅげむ」を立ち上げたのが2000年。夫婦2人だけの再出発だった。
 その頃、甲子園周辺の飲食店が手羽のからあげをにんにくしょうゆで味付けした「ヒーロー揚げ」を出していることを知る。山﨑は球児がヒーローになれる甲子園をその冠につけ「甲子園ヒーロー揚げ」を売り出した。近隣の飲食店も巻き込み、いまやご当地グルメとして定着しつつある。
 後進の育成に目覚めたのは最愛の妻をがんで失った07年だった。生きる意味を考え、これまで支えてくれた人に恩返しをしたいと決意。独立心の旺盛な若者の育成を使命と受け止めた。
 次の目標はカンボジアの若者の自立支援だ。NPOと組んで現地の若者に経営ノウハウと甲子園ヒーロー揚げの作り方を伝え、自力で生活できるよう支援する。そんなプロジェクトを年内にも始動させる。「甲子園は夢がかなう場所。カンボジアでも若者の夢がかなえばこんなにうれしいことはない」。チキン大佐は海を越えて、ヒーローの育成に走り続ける。=敬称略 (大阪経済部 安川寛之)

「3年で一人前の経営者に育てる」と後進指導に励む山崎哲さん(兵庫県西宮市のじゅげむ甲子園本店)

―― 人生いろいろ ――
1968年 高知県中土佐町に生まれる
 86  陸上自衛隊に入隊し通信担当に 極限状況でも生き抜く力を学ぶ
 90  陸自退官、化学品メーカーに勤める
 94  西宮市で仲間と焼鳥店開業 翌月に阪神大震災
2000  「じゅげむ」開業、甲子園ヒーロー揚げを売り出す 別の1店を閉店し再起図る
 07  妻の死を機に後進育成に目覚める

ばっくぼーん

陸自で学んだ「一身独立」

 自衛隊における通信担当は情報の要ですから、前線でたった独りになっても任務を果たすまで生き残らなければなりません。陸自でだれかに頼らず、自分ひとりで生きていく力を身につけたことは大きな糧になりました。
 特に阪神大震災の時は陸自で学んだ技術が役立ちました。フォークリフト運転から調理師まで7種の資格を持っていました。震災直後から支援にあたり、まず自分の食料を1週間分用意し被災地に向かいました。
 私の生き方の根底にあるのは「一身独立」の思想です。自分が生きるすべを確保しなければ他人を助けることはできません。商売も含め、全てに通じると思っています。